日曜の朝 (JAパラレル)
脱いで手にしていたジャケットをソファに掛けると、既に緩めていた淡いトーンのネクタイも解い てその上に置く。
ボタンを外して首元を楽にし、左右の袖のボタンも同じように外すと開放 感を感じる。
一人暮らしには勿体ないほど広い部屋はシンプルにまとめられ、大きな窓 からは夜景が一望出来る。
部屋に来た者のほとんどがその暮らしぶりに感嘆の声を上げたが、暮らし ている本人には特に何の感慨もない。
いい環境で、いい物を使い、いい仕事をする。
仕事に対してのスタンスが生活にも表れているだけだった。
質のいいスーツを着こなし高価な腕時計をはめ高級車を乗り回す。
それだって高ければいいわけではなく自分が納得いく質を求めた結果で、 財力があるのはいい仕事をして評価されている結果だと思っている。
銀色に光る時計を外してテーブルに置くとゴトリと音を立てた。
何不自由ない生活をしているが、今この部屋に欠けているもの――『ピン ポーン』――がやってきたようだった。
ドアを開けて室内に招き入れる。
「ちょうど良かったな、今帰ってきたばっかりでよ」
「仕事が長引いてしまってな」
ダークグレーのスーツ姿で現れた男はきちんとジャケットも羽織っていた が、ネクタイは途中で外したのか襟元を開けている。
「ビールでいいか?」
冷蔵庫を開けながらジェクトが尋ねると訪れた者、アーロンはそのままソ ファに座りジャケットに目を遣った。
「ああ――スーツがシワになるぞ」
両手に持った缶をテーブルに置いてジェクトもアーロンの隣に腰掛ける。
「面倒を見てくれる彼女でも作ったらどうだ?あんたなら放っておいても 寄ってくるんじゃないか?」
実際ジェクトはよくもてた。
アーロンも知り合ってから会社の女性社員が『新しく来た取引先の人』と 噂してるのを何度も耳にした事がある。
「別にいらねえな、嫌いじゃねえが面倒くせえし。特に必要も感じねえ」
そう言って器用に片手でプルトップを開け旨そうに飲む姿を見て、鼻で 笑ったアーロンも缶に手を伸ばす。
二人が出会ったのは数カ月前のこと。
『愛想がなくて頑固だがいい仕事をするよ』
と仕事仲間の業者がアーロンの名前を挙げた。
一緒に仕事をするならこだわりを持った仕事をする人間がいいと常々思っ てはいたが、その時は特に興味もなく軽く聞き流していた。
しばらく経ったある日、取引先のとある業者が重大なミスを犯した事が発 覚し、その対応にジェクトは奔走する事になった。
期日が迫っている上に簡単な内容ではなかった為、信頼していた業者の失 態はかなりの痛手だった。
よそに頼むといっても他に同じ仕事を安心して任せられる業者がなかなか 見つからない。
そこで思い出したのがアーロンだった。
とはいっても、何も知らない相手にいきなり大きな仕事を任せられるわけ がない。
まずは仲間に連絡を入れ、アーロンの携わった仕事を教えてもらった。
ジェクトはそれらの仕事に関する資料を集め、その一つ一つに自分で目を 通した。
全ての資料を見終わった頃には、悔やんでいた。
何故今までこの男の存在に気付かなかったんだろうかと。
それほどまでにアーロンの仕事は多伎に渡り、そのどれもが素晴らしいも のだったのだ。
数時間後には、ジェクトはアポも取らずアーロンの会社に出向くと、まる で新人の飛び込みのようなジェクトらしからぬやり方でアーロンを口説きに掛かってい た。
もちろん、仕事のパートナーとして。
「明日は休みなんだろ?」
「さすがに少しは休ませて貰わんとな。その為に今日は遅くなってしまっ たが」
お互いに多忙の身、土日休みが当たり前の業界の中で土曜や日曜の出勤も 稀ではない。
ジェクトは体を捻ると何の躊躇もなくアーロンに唇を重ねた。
その素早さに一瞬驚きつつアーロンもそれを黙って受け入れる。
一旦口を離してアーロンを抱くようにして一緒に立ち上がると、再び口付 けながらジャケットを脱がせ、シャツのボタンを外していく。
胸元が開けた頃に絡んだ舌が解け、ジェクトの唇が首筋に移動してから アーロンが口を開く。
「風呂はいいのか?」
顔を上げたジェクトがアーロンの瞳を熱っぽく捉える。
「オレ、汗くせえ?」
「いや…」
「なら、いい」
言い終わるが早いかジェクトの唇はまたアーロンの唇を塞いだ。
体を抱く腕に込められた熱。
アーロンの腕がジェクトの背中にそっと回されると、それが合図となっ た。
タオルドライしただけの濡れた髪のままジェクトがベッドに腰掛けると、 先にシャワーを浴びて横になっていたアーロンが目を開けた。
「起こしちまったか」
「いや、うとうとしていただけだ」
もともとあまり寝相がいいとはいえないジェクトのベッドは男二人が十分 一緒に寝られる広さがあった。
半分空けられたスペースに寝転がると、すぐに欠伸が出る。
ここ一週間忙しくて寝不足気味だった。
体をアーロンの方に向け、首だけ伸ばすと触れるだけのキスをする。
ままごとのようなそれにアーロンが笑うと、ジェクトも同じように笑っ た。
「おやすみな」
「ああ」
その会話を最後に二人はすぐに眠りについた。
抱き合って眠ったのは初めて一緒にベッドに入った時以来一度もない。
アーロンが早い時間に目覚めると、ジェクトはまだ枕に顔を埋めぐっすり と眠っていた。
疲れているのだろうな、と思う自分もまだ体が睡眠を欲していてそのまま 横になっていた。
うとうとして目を覚ましてを繰り返しているうちに、ジェクトも目を覚ま す。
「うー……」
まだまだ眠いといいたげに歪めた顔でうっすら目を開けアーロンを見る。
「今日はどうするんだ?出掛けるのか?」
「…部屋でゆっくりしようぜ」
ジェクトの予定を聞いたつもりがジェクトはアーロンも一緒のつもりらし い。
そのまま目を閉じ再び寝息を立てるジェクトに笑みを漏らしつつ、アーロ ンもまた目を閉じた。
目覚めてからもぐだぐだとしていた為、結局二人がベッドから出たのは昼 前だった。
着替えのないアーロンにジェクトが自分の服を見繕い出してやる。
サイズは少し大きいが家の中にいる分にはまったく問題ない程度だった。
「うちに着替え置いとけよ」
冗談とも本気ともつかないジェクトの言葉に曖昧な笑いで答えて話を逸ら す。
「カーテン開けないのか?」
人の部屋を勝手にいじってはいけない気がして自ら開ける事はしない。
窓はカーテンに遮られ外の天気もわからず、時計を見なければ朝なのか夜 なのかさえわからなかった。
「この方がゆっくり出来る。こんな事しても覗かれる心配もねえしな」
ジェクトは悪戯っぽく笑うと素早くアーロンの腰を引き寄せて軽く口付け た。
もともと高層マンションの最上階で覗かれる心配はないのでジェクトなり の冗談らしい。
リビングに移動するとジェクトはキッチンで遅めの朝食の準備を始めた。
普段は外食が多いと言っている割には、一人暮らしが長いせいか手際は良 い。
これまでがどうかは知らないが、少なくともアーロンがこの部屋を訪れる ようになってからは女性の影は見られない。
手持ち無沙汰のアーロンは昨夜と同じ場所に腰を下ろす。
ソファにはジェクトのジャケットの上に脱ぎ捨てられたアーロンのジャ ケット。
寝室でしわくちゃになっているであろう自分達の衣類を思い出し苦笑す る。
アーロンは割と几帳面な質であったが、ジェクトとの時間の中で彼女のよ うに事細かく世話を焼いてやるつもりはなかった。
彼氏彼女というような関係ではないし、お互いに自分達の関係を言及する こともない。
だから先程のようなジェクトの何気ない言葉に返答を窮するのだが、二人 ともこの関係性を特別だと思っている事に変わりはなかった。
「日曜の朝って一番のんびり出来ねえ?」
出来上がったスクランブルエッグとサラダを運びながらジェクトが言葉を 続ける。
「明日からはまた忙しく働くんだもんなぁ」
「忙しい方がいいって言ってなかったか?」
ジェクトは自他共に認める根っからの仕事人間だ。
オーブントースターがチンと鳴り、ジェクトがキッチンに戻る。
「暇より慌ただしく仕事してる方がそりゃいいに決まってらぁ」
トーストを皿に取り出しコーヒーを煎れるといい香りがアーロンのいるソ ファまで漂ってくる。
「けど、最近は日曜の朝が一番好きだな」
一度に運べないだろうとアーロンもキッチンへ向かうと、ジェクトはアー ロンにトーストの皿を手渡しながら。
「おめえとゆっくり過ごせるし」
そういう所がジェクトとアーロンの違う所だ。
ジェクトは恋人に言われたら嬉しいだろう好意的な言葉をさらりと口にす る。
営業マンというのは職業柄そういった人を喜ばせる会話に長けているのか もしれない。
どちらかというと技術屋気質なアーロンには持ち合わせていない性分だっ た。
「確かに日曜の朝は気が楽だ。あんたと違って俺は出来れば仕事などした くないしな」
「よく言うぜ、お互い仕事馬鹿だろーが」
ジェクトのいわゆる口説き文句にアーロンが反応しなくてもジェクトはい ちいち気にしたりしない。
それがアーロンにとってはジェクトの側にいて心地良く感じられる要因の 一つでもあるようだ。
ソファに戻り食事を取っている間、二人はいくつか仕事の話をした。
プライベートと仕事は完全に別だったはずのジェクトもアーロンが相手だ とそうならないのはアーロンの仕事ぶりに惚れ込んでいるからかもしれない。
食事が終わると今度はアーロンがキッチンで食器を洗い始める。
ジェクトの部屋に来てもほとんど何もしないアーロンが唯一お礼代わりに することだった。
その後はいつも互いに別々の時間を過ごす事が常だ。
ジェクトが難しい顔で新聞を読めば、アーロンは同じ業界にいる身として 勉強家だと感心出来る内容の本棚から気になる本を手に取ってみてはパラパラとめくっ ている。
新聞を読み終えたジェクトが録画していたスポーツ中継を見出して一人興 奮していても、その横でアーロンは長い足を組み本を読み耽っている。
会話がなくとも気まずい空気など微塵もなく、むしろ同じ空間に相手が存 在することでよりリラックス出来るようだった。
「そろそろ帰らんとな」
夕方が近付いてアーロンは立ち上がると読み終えた本を元あった場所に戻 した。
「送ってくか?」
釣られるようにジェクトも車のキーを手に腰を上げる。
「いや、車で来たから大丈夫だ」
寝室に向かい脱ぎ捨てた衣服を拾い上げると予想通りしわが寄っていて、 一瞬着替えるのを躊躇ったがすぐに服を脱ぎ始める。
その様子を入り口から見ていたジェクトがあらわになった逞しい背中を後 ろから抱き寄せた。
「仕事なんか休んでおめえと平日出掛けてえな」
ゆったりとダンスをするように左右にゆらゆらと体重を移動させながら耳 元で呟く。
「仕事が一番なあんたらしくない台詞だな」
アーロンは着替える手を止めされるがままに身を任せる。
「水族館とか、どーだ?」
「水族館?」
似つかわしくない言葉に思わず笑ってしまう。
大の男が二人平日に水族館へ出掛けるなど、考えただけでもおかしい。
「水族館が好きなのか?だったらまた来週の日曜にでも…」
「駄目だ。日曜はおめえと二人でゆっくりする」
まるで駄々っ子のような台詞にまた笑うとジェクトの腕の中で体を反転さ せる。
「いつか、な」
唇が触れる直前まで顔を近付けると、アーロンより少しだけ背が高いジェ クトの伏せた睫毛の長さに気付く。
求めるように薄く開かれた唇に誘われてアーロンが初めて自分から唇を重 ねると、ジェクトはそれを味わうように目を閉じた。
きっと水族館へ行く日など永遠に来ないのだろう。
その代わりに日曜は毎週必ずやって来る。
知らぬ間に段々と魅力を増す二人の時間を携えて。
『言い訳』
思い浮かんだ情景が一旦冷めて、その後にまた必死で思 い浮かべて書いたら長いよコレ(笑)
仕事が出来る大人の男設定大好き。ジェクトだったら もっとガサツで愛想だけで仕事を取ってきそうなタイプだけど、バリっとオシャレなちょい悪オヤジ風がま た萌なのです。
それだけに小物や部屋の描写にもっと時間を掛けたかっ たのですが、苦手なんだよね(自爆)二人が何の仕事をしているかは思い付かなかったので曖昧に。
宇多田の同タイトルをベースにしてます。彼氏彼女と かってカテゴリーに分けなくてもいーじゃん、みたいな。
この話ではまだ二人が相手の重要性に気付いてないから さっぱりした付き合いなんだけど、相手の魅力には惹かれていて一緒にいるのが心地良いから無意識に欲 しているよーな。
これからの二人とこれまでの二人の話もまた自分的に気 になる所。自己満的萌でもいーんだもん(笑)