幸せになろう(B's)



旅行公司の一室。
椅子に座ったアーロンは床の一点を見つめたまま身動き一つしない。
ジェクトはしばらくの間その様子を観察するように黙って見ていたが、つまらなそうに伸びをした。

「シケた面しやがってああ、情けねえなあ」

脱力したその間の抜けた声音にかっとなり、つい声を荒げる。

「黙れ!あんたは何も知らないからそんな呑気な事を…」

言い掛けてはっと口を止めた。

「ああ、知らねえな。知ったこっちゃねえ」

まるで気にするそぶりも見せないジェクトに、少しでも気を遣った事が馬鹿馬鹿しく思えた。
くだらないとでも言いたげなその口調に再度苛立ちを覚える。
知らないからとはいえ無神経過ぎではないか。
きっとこの男にとっては自分以外の事はどうでもいいことなのだろう。

いちいち腹を立てているのも馬鹿らしい、そう思うのに感情を乱されてしまう自分にまた苛立つ。
だからこのジェクトという男を好きになれない。
いつかはいなくなると思えば、それまでは辛抱するしかないと諦めに似た感情も湧いた。
それでも今夜のこの言葉は払い捨てることが出来ず、このまま怒りをぶつけてしまう前に早々に立ち去るのが賢明に思えた。
いくら相手が無粋な輩であろうと、共に旅する召喚士の末路を知れば陰りも出るだろう。
…それさえも鼻で笑い飛ばすような事があれば自分を抑える自信はない。
どちらにせよ、やがて去る者が知る必要はない。


「おい、若造」

足元に置いていた剣を掴み、顔を背けて部屋を出ようとする背中に声を掛けられた。

足は止めても振り向く事はしなかった。
何を言われようとそのまますぐに出ていけるように。

「おめえは何の為に前に進んでんだよ。この先に望む何かがあるからじゃねえのか」

突っ掛かってくるという予想に反した言葉に相手の意図が理解しがたく、背中を向けたままで押し黙る。
一体何が言いたいんだと苛立って。

「後ろ向く為に進む馬鹿はいねえ。明日になくても明後日には幸せってヤツが転がってるかもしれねえから進むんだろ」

「…脳天気な男だ」

溜め息をついて手に持った剣に視線を落とす。

「そう簡単に幸せが転がっているなら苦労はしない」

あんたがあると言い張るザナルカンドではどうか知らないが、ここでは、少なくともスピラには幸せは転がっているものじゃない。
剣で道を切り開きながら旅を続けた先に待っているもの。
確かにそれは他の誰かにとって転がってきた幸せになるのだろう。
しかし、切り開いた当の本人にとっての幸せであるとは限らない。


むしろ…



「転がってなきゃ捜して掴めばいーじゃねえか」

掴まれた肩。
その手を振り払おうとして、相手の視線にぶつかり当惑する。
その目がいつものように笑っていなかったからだ。

「誰も何もしてくれやしねえ。だったら、おめえがそのもっと先にあるもんを掴めよ」

嘆く先にあるもの。

「よく言うだろ、出来ねえのは出来るまでやらねえからだ、てな。うじうじしてんのはおめえが勝手に結末を決め付けてるからだ」

「あんた、もしかして…知っているのか?この先に…」

召喚士を待ち受けるはずの結末を。
驚いてジェクトの顔をじっと見る。
若干顎を上げるようにしてにやりと笑う見慣れた顔。

「知らねえな」

挑発的なその口調がまた神経を逆撫でする前に、ジェクトは言った。

「誰も先の事なんてわからねえ。違うか?」

確かにそうなのかもしれない。
しかし――。
言葉を探して知らずと唇を噛み締める。
クックッと笑ってジェクトが横を通り過ぎていく。

「だからよ、うじうじしてねえでガキは早く寝ろ」

「ガキ扱いするな!」

遠ざかる背中に向かって怒鳴ると片手をひらひらと上げ、そのまま出て行ってしまった。

「勝手な事ばかり…」

取り残された形になり、気が抜けて椅子に座り直す。
背中を丸めうなだれて、一つ息を吐く。

ふと剣を握っていた自分の手を開いてみた。
何とは無しに掌をじっと見ていると、先ほど言われた言葉が頭を過ぎる。


『おめえがもっと先にあるもんを掴めよ』


自分にそんな事が出来るのだろうか。
この手で何かを掴み取る事が?どうやって掴めというんだ?

――あんな何も知らない男の言葉にいちいち耳を貸す必要はない。
そう切り離そうとして、その言葉の中に少しばかりの希望を見出だした気がしている自分に気がついた。

召喚士の死。

それに捕われて、そこが自分達の物語の結末だと思っていた。
仕方のないことだと思っていた。
それでもやり切れず歯痒さに鬱屈としていたのは、それが『覚悟』ではなく『諦め』だったからなのかもしれない。



旅の先にあるもの。


その先にあるもの。



ブラスカ様がスピラの民の幸せを望み、それ叶えることを自分自身の幸せだと言うのなら。
俺は、俺の――俺達の幸せを望もう。
この手で、それを掴もう。
この先に何が起こるかなんて誰にもわからない。未来は決まってなどいない。
それならば、どうにでも出来るはずではないか?

目の前の霧が晴れていくような気分だった。
そっと手を握ってみる。
結んだ手の中に何か大事なものを掴んだ気がして、その手をぎゅっと握り締めた。



【END】



『言い訳』

4周年記念(携帯サイト)に合わせて希望のある話を、と書き進めていたSSを記念日より約一ヶ月遅れとなりましたがやっとアップすることが出来ました。
タイトルと同名の宇多田の曲を聴いていて思い付いたものです。
とはいえ、同じようなアーロンの葛藤を以前にも書いた事はあるんですが…どうしてもこのテーマは重く引っ掛かってくるようです。
なので今回はジェクトとアーロンがまだ不仲な頃で書いてみました。
幸せのカタチは人それぞれで、ブラスカにとっての幸せが自分の命よりスピラの民の笑顔であったとしても、
同じようにそれがアーロンの幸せかというとそうではない。旅の終盤まではジェクトにとっての幸せもまた二人とは違う。
結果として全てが望んだ通りにはならなくても、今はそんなことわからないんだし。まだ見えない先に何を望み、
その為に何をするのか、が大事になってくるような気がする。
『幸せになろう』という言葉は自分の手で幸せになるという決意表明のようでいいなあと思います。
宇多田も歌ってるけど、今日より明日、明日より明後日の方が幸せになると思って前に進みたいものです。