ESCAPE
胸元がVに開いたグレーのざっくりとしたニットは、秋の冷たい風を通してしまう。
素足にローファー。
短めのパンツの裾から覗く足首が、冷える。
暖かいものでも飲もうと思ってから、財布も持たずに飛び出してきたことを思い出した。
「さみぃ……」
パンツのポケットに手を突っ込んで、肩をすぼめてまた歩き出す。
半ば強引にアーロンを家に連れ込んだのは約一ヵ月前。
好きだなんて口に出したことはなくても、オレの気持ちはわかってる…ハズだろ?
アーロンはいつもオレをさらりとかわす。
時には鼻で笑い、時には『ふざけるな』と眉間にシワを寄せながら。
それじゃあ何もないのかというとそうでもない。
オレはアーロンを抱いた。
もう、何度も。
それなのにオレたちの間に何も変化がないのはどういうことなのか。
オレはわからなくなっていた。
何でアイツがオレの傍にいるのか。
アイツが何を考えてるのか。
わからないことに焦っていた。
そんなハッキリしない状態が、自分が、ひどく嫌だった。
今日は休日。
いつものように時間が過ぎていく中、オレはある賭けをした。
「ちょっと女んトコ行ってくるわ」
そう言ってアーロンの顔色を伺って、落胆した。
動揺するわけでもなく、怒るわけでも悲しい顔をするわけでもない。
だから何だとでも言いたそうな顔でアーロンが言った言葉は
「夕飯は食うのか」
だった。
賭けは惨敗。
何が何だかわからなくなって。
頭に血が上っているのに自分でも気付かぬうちにオレは冷ややかに笑っていた。
「おめぇはオレのなんなんだよ」
一つ言葉が出たらあとは止まらなかった。
「大体何でここにいんだ?…そうか、てめぇは誰でもいいんだな」
違う、こんなこと言いたいわけじゃねえ。
頭の芯ではそう思っているのに、言葉は勝手に口をつく。
「無理してこんなとこいる必要ねぇんだぜ?どっか行っちまえよ」
自分が自分で抑えられなくなっていた。
表情も変えず何も言い返さないアーロンを見ていると自分が最低な奴に思えてきて。
「んじゃ出掛けっから」
これ以上何か言ってしまわないように、オレは家を出た。
これ程までに自分に嫌気が差したことはない。
欲しいものは奪ってでも手に入れてきた。
それがなんてザマだ?
自分の気持ちさえも持て余して、それを全部相手のせいにして暴言を吐いて。
何故好きだと最初に言わなかったのだろう。
はっきりと拒まれるのが怖かったからか?
そう思いついて、臆病になる程の想いの強さを思い知る。
手に入らないものはないと思っていた。
自分の感情がコントロール出来なくなることなんてなかった。
これ以上嫌な思いをさせたくはない。
今頃アイツも家を出ることを考えてるだろう。
公園の柱時計に目をやる。
アーロンが決意する為の時間。
荷物をまとめる時間。
家を出る時間。
アーロンを逃がしてやるのに必要な時間。
顔を合わせれば止めずにいる自信はない。
「もうちょいだな……」
震える肩を自ら抱きしめるようにして白い息を吐いた。
夜になり玄関のドアを開けた時には体は冷えきっていた。
真っ暗な家の中、明かりもつけずにリビングに入る。
棚のガラス戸を開き酒瓶を取り出し、栓を抜いてそのまま口をつけた。
畜生と呟いてテーブルを拳で殴ると静かな家に鈍い音が響く。
口の端から滴れることさえ構わず酒を喉に流し込む。
アーロンを逃がしてやる間に自分の気持ちをも逃がそうとした。
しかしそれは到底無理な話で。
行き場のない感情はやり場のない自分への怒りに変わっていた。
泣いて縋ってでも、傍にいさせれば良かった。
傍にいさせて自分を好きにさせれば良かった。
そうならずとも、その努力をすべきだった。
手を尽くさずに自ら手放したという後悔が、今更ながらふつふつとわいてくる。
もう、全てが遅い。
ガチャリとドアが開く音がした。
緩慢な動きで振り返ると、そこにはいるはずもない男の姿があった。
悪酔いでもしたかと我が目を疑う。
忘れ物か?と問う前に相手が口を開いた。
「風呂を沸かしておいたんだが」
手に持っていた買い物袋を置きながら空になった瓶に視線を移す。
「相変わらず無茶な飲み方をするもんだ…その分だと暫らく風呂は待った方がいいな」
アーロンは苦虫を噛んだような顔で溜め息をつくと、はおっていた黒いロングコートをオレに掛けた。
まるで数時間前に起きたことがなかったかのような振る舞いに戸惑う。
ソファの上に方膝を立て体をこちらに向けて座ると、まだ温度を取り戻していないオレの手を自分の手で包んだ。
じんと痺れるように伝わるアーロンの手の温もり。
「冷たいな…そんな格好でほっつき歩くからだ」
女の所へ行くという嘘は完全にばれていた。
「…オレは」
「ジェクト、お前は俺が自分の意志に反することをすると思うか?」
言葉を遮って投げ掛けられた問い。
それがお前への答えだ、と言わんばかりに真っすぐにオレを見据える目。
「……いや」
軽く首を振り、背中を丸めてアーロンの胸にトンっと頭を当てた。
安堵、感謝、謝罪…様々な想いが胸を交錯する中、一番に伝えたいことは。
「オレはおめぇが好きだ」
「そんなことは今更言われなくとも知っている…」
アーロンは可笑しそうに口元を緩ませたが、はっきりと伝えておきたい気持ちだった。
もう、オレは迷わない。
アーロンの背中にがっしりと腕を回すと。
「…今度逃げたらもう待っててやらんぞ」
からかうような口調にバツが悪くなって、ああ、と頷く。
もうオレは逃げたりしない。
逃がしたりしない。
「ぜってぇ離してやんねぇからな」
【END】
『言い訳』
久しぶりに長い話になりました。
下書きがないからまとまりがないってだけかも;
この話…設定どうなってんでしょうね(笑)パラレルになるのかな、これ。
いつもは私の中でジェクトはオレ様主義で弱さを出さない人なんですが。
恋愛においては誰でも弱くなるってことであえてジェクトを弱くしました。
好きすぎて不安で逃げ出したくなる心情、書きたかったんですが…。
でもこの二人だとアーロンのが大人で上手っぽいですよね?(若だと別ですが)