ホントの気持ち
「私達にとって、空気はなくてはならないものです。
でも、あるのが当たり前のことになっていて、その大切さを忘れてしまいがちです」
そんな小学生でも知っていそうなことを先生が張り切って喋っているのは、今日が授業参観だから。教室の後には親達がズラリと並んでいる。
その中に、明らかに場違いな男が一人。その男こそ、ティーダの保護者であり同居人であるアーロンである。
お母様方に興味深々の目を向けられ、肩身が狭そうに立っている。
だから来なくてもいいよって言ったのに、とティーダはこっそり笑ってしまう。
授業が終わる寸前にアーロンは逃げるように教室を出て行った。
授業終了を告げる鐘が鳴るとティーダの元へ友達たちが駆け寄って来る。
「お前んとこの同居人…なんてったっけ?」
「あぁ、アーロンのこと?」
「そう、アーロンさん!かっこいいよな〜」
皆がかっこいいと口にするのを聞いて、ティーダは首を傾げた。
「いいなぁ、俺もああいう大人になりてぇよ」
「あんた達には無理。ホントかっこいいわよねぇ〜」
女の子たちもアーロンを誉めちぎる。
「そうかなぁ…」
そんなにアーロンてかっこいいかな?
わからないと更に首を傾げて見せると、友達は呆れた顔をした。
「お前にはわかんねーかなぁ、男の渋さが!大人の色気っつーの?アーロンさんにはそれがあるっ」
「冷たそうなところもまたいいのよ〜」
皆がアーロン話に花を咲かせている間、ティーダはなぜか不快感を感じていた。
お前等にアーロンの何がわかるんだよ。
アーロンのこと一番知ってるのは俺なんだからなっ──
そう言いそうになったティーダは、自分の思ったことに困惑した。何だそりゃ…。
何を苛々してんだろう?
ティーダが帰宅するとアーロンはキッチンで夕飯の支度をしていた。シャツを捲り上げ器用に包丁を操るアーロンを、椅子に座って観察する。
かっこいい、ねぇ…。
じっと自分を見つめる視線に気付いたアーロンが顔を上げると、ティーダは慌てて視線を逸らした。
「何か用か?」
「べ…別に何もないっス」
アーロンは暫らく不思議そうにティーダを見ていたが、また料理を再開した。
逸らした視線をこっそりアーロンに戻す。今までこんな風に意識してアーロンを見ることはなかった。
アーロンの肩ってあんなにがっしりしてたっけ?
あんなに胸広かったっけ?
あんなにきれいな指だったっけ?
何もかもが初めての発見のようでアーロンから目を離せず、再び視線がぶつかりドキっとする。
「ティーダ、どうした?」
その笑顔になぜか胸がドキドキして俯く。
アーロンはこんなに優しく笑うんだっけ…?
食事中も夕飯後もティーダはアーロンをちらちら盗み見していた。
確かにクラスメートが言う通り、アーロンはかっこいい、と思った。でも、それだけじゃない。
「…お前具合でも悪いのか?何かおかしいぞ」
ソファの右隣からの視線に右頬がじりじりする。
「んーと…ちょっと疲れてるかも…。でも平気っスよ」
アーロンの顔を見れないまま慌てて言い繕うと、アーロンは突然ティーダの膝に頭を乗せて横になった。
「俺もつかれた…保護者も疲れるもんなんだな、授業参観てのは」
ティーダは教室で小さくなっていたアーロンを思い出して、思わず笑ってしまう。
でも笑いは続かなかった。
長い睫毛。綺麗な唇。自分に頭を預けて目をつぶるアーロンの整った顔に見惚れてしまう。
友達の息子だというだけで、血のつながりもない自分を育ててくれているアーロン。
アーロンはかっこいいだけじゃない。
アーロンは冷たくなんかない。
次の日の授業はティーダの耳に全く入らなかった。
気付くとアーロンのことばかり考えている自分。頭からアーロンの顔が離れない。
──何なんだ?
「おいティーダ」
いつの間にか目の前に友達が立っている。
「さっきから呼んでんのに何ぼーっとしてんだよっ」
「え?…あぁ、ゴメン…」
友達はティーダをじっと見てニヤリと笑った。
「お前、恋でもしてんのか?」
「は!?」
恋という言葉に心臓がドクンと跳ねた。
恋?まさかそんなはずない。
なのに笑い飛ばせない。顔が強ばる。
「そんなもんしてない…」
そう言いながらも、ティーダは明らかに動揺している自分に気付いた。
「ずっと一緒にいるのに突然好きになるなんて、ありえないから!」
「……お前自爆してんぞ」
「あ」
思わず口走った言葉に慌てて口を手で塞ぐと、大笑いされた。
「この前の授業でも言ってたろ?あるのが当たり前だと大切さを忘れがちだって。近くにいすぎて気付かなかったんじゃねーの?」
でも相手は男だぞ、とは言えるわけがなかった。
そう、アーロンは紛れもなく男だ。
俺がアーロンを好き?男を好きになるわけないだろ…。
ない…よな?
家に帰ってアーロンに会えば、馬鹿なことをと笑えると思った。
「ただいま」
リビングのドアを開けるとアーロンの後ろ姿が目に飛び込んできた。
「おかえり。今メシ作るから」
振り向きもしないその後ろ姿を目にしただけでティーダは鼓動が早くなるのを感じた。
宿題をしてるからと言い残して、逃げるように自分の部屋に駆け込む。
何だよ…何なんだよ!?
アイツが変なこと言うからいけないんだ。だから意識してるだけなんだ。きっとそうだ。
ティーダは机の前に座り、とりあえず宿題の作文用紙を広げてみたが、手につかない。
深い溜め息をつくと、コンコンというノック音の後にアーロンがドアを開けた。
「珍しいな、お前が帰ってすぐ宿題始めるなんて」
「…そうっスか?」
まともにアーロンの顔が見れない。
アーロンの手が伸びて、タイトルだけ入った作文用紙を取り上げる。
「『将来の夢』か…。」
ティーダが俯いているとアーロンが何かを思い出したかのように笑い出した。
「…何笑ってるんスか」
「いや…お前は覚えていないだろうな…」
「だから何スか!?」
苛々したティーダをよそにアーロンは笑っていた。
「お前が小さい時、『大きくなったらアーロンのお嫁さんになる』ってな」
「俺が?言ってないってそんなこと!」
全く記憶がないが、恥ずかしさで顔が赤くなる。
「お前は男だから無理だって言われても言い張ってな…」
そう、俺は男だから。男同士なんて無理だから。
今の今まで自分でそう思ってたはずなのに、何でショックを受けてるんだろう?
アーロンの言葉は自分を拒否しているように聞こえた。傷ついた心には、もうどんな言い訳もできなかった。
俺はアーロンが好きなんだ。
自分の気持ちを認めると同時に失恋なんて。
涙を堪えたティーダが下を向くと、怒ったと勘違いしたアーロンは小さく笑った。
「お前が言ったんだぞ、そう怒るな」
アーロンに頭をくしゃくしゃと撫でられると、ティーダの胸は強く痛んだ。耐えられなかった。泣き顔を見られたくなかった。
「出て行けよ!早く出てけって!」
「おい…ティーダ?お…」
困惑するアーロンを部屋から押し出しドアを閉める。
「そんなに怒るようなことか…?」
全く訳の分からないアーロンは、閉まったドアの前で頭を悩ませていた。
足音が部屋から遠ざかってからティーダは枕に突っ伏した。
何でアーロンなんだよ、俺。頑張りようがないじゃん。
涙が後から後から溢れて、声を殺して泣いた。
アーロンが夕飯だとドアの外から呼び掛けてきてもティーダは返事をしなかった。仕方なくアーロンが一人で食事をとり、寝る前に声を掛けた時にも返事をしなかった。出来なかった。
どんなに泣いても涙は枯れなかった。だけどわかった。
どんなに辛くてもどんなに苦しくても、好きって気持ちは消えないんだってこと。
男だろうが、報われなかろうが、アーロンを好きだってこと。
翌朝、ティーダが部屋へ出るとアーロンが廊下に立っていた。
アーロンを見たらまた胸が疼く。
だけど、好きなものは好きなんだからしょうがない。
この先どうなるかはわからないけど、一緒にいられるだけでもいい。だから笑っていよう。
それが、一晩泣いて出した答え。
「昨日は…」
アーロンが謝ろうと口を開くと、ティーダはニカッと笑った。
「昨日夕飯食いそびれて腹減っちゃった。朝ご飯出来てる?」
「あ、ああ…」
昨日と一変したティーダに戸惑いを隠せないアーロンをよそに、ティーダはメシ、メシ!と言いながらダイニングへ向かう。
「難しい年頃だな…」
アーロンは頭を掻きながら走り去るティーダの後ろ姿を見つめていた。
【END】